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人的・物的損失は巨大だったが、旧体制を打破して自由主義・民主主義国家になり、その後の経済復興と高度成長を経験できた。
敗戦を機に社会・経済制度が革命といえるほど変革し、後の経済発展の基礎となったのである。
戦後の諸改革を論じる前に、戦前の日本はどのような国だったのだろうか。
これの関心の範囲に限定して、戦前の日本を簡単にふりかえってる。
経済制度としては資本主義を原則としていたが、成熟した制度が保証された下での資本主義とはいい難い。
例えば、華族などの身分制の存在、地主・小作人の存在、財閥を中心にした大資本家の存在と経済集中、強大な軍事勢力の存在、女性に参政権のないこと、等々、戦前の日本は前近代社会だったのである。
そして、戦争突入前と戦中期間は全体主義と帝国主義にまで至った歴史が厳然とある。
しかし、岡崎・奥野(一九九三)が指摘するように、戦後の日本経済の制度を特徴づける間接金融制度の優位や、長期雇用制を促す諸制度、政府と民間の関係等は、非常時の戦争中に確立した側面もある。
ところで、平等・不平等の観点からは、戦前社会はどのようにいえるだろうか。
戦前においては収集された所得データの例が少ない。
しかも収集データそのものにも誤差が多いので信頼性に乏しいといえ、疑問符はつくが、二〜三の研究例からそれを調べてふよう。
戦前・戦後の所得分配の不平等度を示したものである。
大槻・高松推計は、税務統計を用いて推計した小野・渡部推計を修正したものである。
税務統計は納税者のみが調査の対みである。
戦前の日本では高額所得者のみが所得税を払っていたことを考慮すると、税務統計は一部の標本のみに依存した結果であることを忘れてはならない。
戦前のジ二係数はほぼ○・四を超えていることがわかり、高額所得者のみを標本としても相当の不平等度の高さである。
なお、一八九○年齢細の数字はデータが信頼できないので無視する。
わが国では、ホワイト・カラーとバブル・カラーの職業間賃金格差が、民主化によって相当縮小した。
戦前は職業間格差をもたらす身分制が厳格であったといってよい。
ちなみに現代ヨーロッパも職業間格差が大きく、戦前の日本と同じ性質がある。
現代のヨーロッパも旧社会の顔を持っているのである。
第二に、男女間の賃金を比較すると、女子の工員は男子の半分以下で、これも大きな賃金格差である。
これらをまとめると、戦前の賃金格差は、階級(地位)別、職業(バブルとホワイト)別、男女別、どの視点から見てもきわめて大きなものがあった。
特に職業や地位による差は、現在では想像できないほどの大きさであった。
戦前の所得と賃金分配はかなり不平等であったことに加えて、もう一つの戦前の特色は並みはずれた高資産家や高所得者の存在である。
まず「公侯伯子男」といわれる華族の存在に代表される身分制社会であったこと、大土地所有者が多くいたこと、あるいは財閥をはじめとする少数の大資本家階級が存在していた。
これらの社会制度が巨額の資産保有家と所得者を生み出した最大の要因である。
戦前の高額所得者についてはT(一九九二)が貴重な研究を行っているので、それを参考にしながら高額所得者が誰であったかを明らかにしてみよう。
第一に、高額所得者は資本家階級の多い東京や大阪に集中していたが、新潟などの地方にも結構多い。
それは地方に大地主が存在していたことを暗示する。
ちなみに大地主の存在が所得分配の不平等に寄与する割合は、宅地貸付と貸家の存在が四三%と相当高い数字を示していたことによっても、大きかったことがわかる。
すなわち、大地主の所得の多くを、地代と家賃収入が占めていることを意味している。
現代ではこのような大地主の数はさほど多くないことは明らかである。
第二に、高所得者のトップはM家、I家(三菱)、H家(時計店)、H家(古河鉱業)、といった財閥かオーナー企業のような大資本保有者によって占められている。
この人達は全国の長者番付順位で一ケタ台にいる。
例えば一九三六年における最高位の所得者であるMは、実に二五四万円という所得の高さであった。
一般社員の年収が二○○○円前後であったことと比較すれば、非常に高い額であったことがわかる。
M持株会社の株主であるM家の人達は、保有株による配当所得等によって巨額の所得を得ており、ほとんどが全国長者番付で十番台にいたことが示されている。
ちなみに、一九八二年におけるオーナー企業家の課税所得の最高は、全国第八位のMで一○億円前後、第九五位のSの四億円がこれに続く。
いかに戦前の財閥に資産と所得が集中していたかがわかる。
アメリカ占領軍主導による戦後の諸改革のうち、平等・不平等問題に関係のある改革は、H財閥解体と独占禁止政策、口農地改革、白労働民主化、四税制改革、国教育の機会均等、の五つである。
それぞれの改革にどのような意味と効果があったのか、簡単に論じてみよう。
財閥解体と独占禁止政策の導入は、戦争を引き起こしたグループの一員とみなされた財閥を排除し、財閥の産業支配力を弱めるためにとられた政策である。
具体的には、持株会社の解体、所有する株式の公開、さらに財閥家族の企業支配力の排除が行われたのである。
産業集中排除のために、独占禁止法と過度経済力集中排除法が一九四七年に施行された。
独占禁止法はその後日本経済を復興させることと、外国企業との競争に立ち向かう目的のために、緩和策が徐々に連続的にとられたことを特筆しておきたい。
特に経済界からの要望が強く、政府もそれに呼応した。
戦後数多くの企業に分割された企業群が、合併の歴史を繰り返して巨大企業に成長していった。
このように財閥解体は、限られた一部の人達の株式保有が禁止され、大資本家階級が一時的に消えたことを意味する。
従って戦前の大資産保有家がいなくなったので、資産分配や所得分配を平等化に向かわせることになる。
農地改革は、不在地主の土地を全部、そして在地主であっても一町歩を残して全部買い上げる政策だったので、圧倒的に強烈な士地所有の移動を意味した。
大土地所有者の数が激減し、もともとは小作人だった農民が、小さな面積ながらも土地所有者になったのである。
地代や家賃で高所得を得ていた地主の資産と所得が激減し、これまで地代を払っていた元小作人にその必要性がなくなったので、その人達の所得が増加したといえる。
これらの変化は、当然のことながら所得と資産の分配を平等化に向かわせた。
個人所得に占める財産所得(土地所有による所得)の比率が急激に下落したからである。
統計によると、戦前の一九四○年ではその比率が三・四%であったが、戦後の一九五○年にはなんと三・四%まで下落したのである。
所得分配における土地の役割の低下といってよい。
これらの影響力が強かったのは、地主の多かった東日本が中心であった。
農地改革の効果が、戦後まもなく日本を平等化に向かわせた意義は大きかった。
しかし、戦後三○〜四○年経過してから、元小作人であった農地の小土地所有者が、大都市近郊を中心にして一九八○年代の土地価格上昇のバブル経済の影響を受けて、逆に高資産保有者になってしまったことは歴史の皮肉といえようか。
労働民主化のことを考えてみよう。
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